2011年12月23日金曜日

天皇陛下 誕生日おめでとうございます。



天皇陛下 誕生日おめでとうございます。
天長節を謹んでお祝い申し上げます。

天皇に弥栄あれ(スメラミコトにいやさかあれ)。



天皇陛下が誕生日に寄せた「ご感想」の全文は次の通り。
http://www.asahi.com/national/update/1223/TKY201112220848.html

 先月マイコプラズマによる感染症を患い、入院を余儀なくされたことから、多くの人々に心配を掛けました。私の健康を気遣ってくれた人々の気持ちに対し、謝意を表します。退院から日もたち、皇太子に委任していた国事行為も再開することができるようになり、体調も今では発病前の状態と変わらないように感じています。今後とも健康に十分気を付けながら新年にかけての行事を務めていきたいと思っています。

 3月11日に起こった東日本大震災は、今から88年前の大正12(1923)年、10万人以上の死者を出した関東大震災以来の大きな災害で、死者、行方不明者数は2万人近くに上りました。更に後日この地震に誘発された地震が長野県の栄村を始めとして各地で起こり、犠牲者が出たところもありました。家族や親しい人を亡くした人々の悲しみはいかばかりかと察しています。また住まいや生活の場を失った人々、原発の事故で住んでいた地域に住めなくなった人々のことが深く案じられます。震災発生以後、皇后と共に被災地や各地に設けられた被災者のための避難所を訪れ、被災者を見舞ってきましたが、これらの訪問を通して、被災者が様々な悲しみや苦しみを抱えつつも、決して取り乱すことなく、強い連帯感を持ち、互いに助け合って困難を乗り越えようとしていることが感じられ、そのことを非常に心強く思いました。また日本各地で、人々が被災者のために支援活動を始めたり、何らかの形でこれに携わろうとしていることも心強いことでした。

 厳しい環境の下、我が身の危険も顧みず、専心救援活動に当たった自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、また原発事故の対応に当たった、東京電力及びその関係者の献身的努力に深く感謝しています。

 諸外国からも救援の人々が来日し、日本の救援活動を助けてくれました。また駐日外国大使等日本に住んでいる外国人を始め、災害発生後日本を訪れた多くの外国人も、被災地を訪れ被災者を励まされていることに感謝しています。震災に際して頂いた外国元首からのお見舞いの電報の多くに、自分たちは被災者と共にある、という言葉が添えられていたことが思い起こされます。

 歴史を振り返ると、我が国は、今回の地震津波災害とほぼ同じ犠牲者数を記録した明治29(1896)年の「三陸地震」を始めとし、これまでにも幾度となく地震や津波による災害を蒙(こうむ)ってきました。しかし、時の経過と共に、次第にその記憶や認識が薄れてきてしまっていたように思います。私が津波の恐ろしさに接したのは、平成5(1993)年「北海道南西沖地震」のお見舞いに皇后と共に奥尻島を訪れたときのことです。島は地震と津波で大きな被害を受けており、200人以上の死者、行方不明者が生じていました。少しの地形の違いでも、津波の高さは場所によりかなり違うこと、自動車で逃げようとした人が渋滞で助からず、歩いて高台に上がった人が助かった等と聞いたことが記憶に残っています。記録には津波の高さは青苗の市街地で10メートルを超えた所があると書かれていますから、もしこの度の被災地域の人が、奥尻島の津波災害の状況を更につまびらかに知っていたならば、一刻も早く避難することにもっと力を注ぎ、より多くの人が助かっていたのではないかと残念に思われてなりません。この度の津波災害においても、避難訓練と津波教育が十分行われていたところほど被害者が少なかったと聞き、施設面の充実と共に、今後も避難訓練と津波教育が十分に行われ、災害に当たり少しでも多くの人が危険から守られるよう願っています。

 私どもの住む日本は、四方に海を持ち、山や川も多く、風光に恵まれた島国です。一方、我が国はいくつものプレートが重なり合う所に位置し、地震が多く、火山や急峻(きゅうしゅん)な山川、日頃は人々に幸(さち)を与えてくれる海も、時に荒れ、多大な被害をもたらします。この厳しい現実を認識し、災害時における人々の悲しみを記憶から消すことなく、常に工夫と訓練を重ね、将来起こるべきことに備えていかなければならないと思います。

 今、被災地には再び厳しい寒さが訪れようとしています。住環境が十分でない所に住む被災者、殊に高齢者の健康が心配です。寒い冬を皆が少しでも健康に過ごすことができるよう願っています。

 今年は豪雨による災害も、7月には新潟県と福島県で、9月には和歌山県、奈良県他で起こりました。9月に和歌山県等で起こった台風12号による豪雨災害では、森林に覆われた斜面がえぐり取られる深層崩壊というこれまで耳にしたことのない恐ろしい現象が起こりました。こうした災害により100人以上の生命が失われたことは本当に残念なことでした。ただ注目したいのは、7月に新潟県を襲った豪雨災害では、7年前に同地域が受けた豪雨災害時の雨量より更に多くの降雨量があったにもかかわらず、前回に比べ犠牲者の数が少なかったことです。これは前回の災害を教訓として治水や住民の避難に対し、様々な対策が講じられた成果であり、防災に力を注ぐことがいかに生命を守ることになるかを教えてくれます。

 水害はタイ王国でも起こりました。国王陛下は長らく御入院中で、この水害にお心を痛めていらっしゃることとお案じしています。タイの水害は日本の産業にも影響を与え、タイにおいて日系企業が行っていた操業が不能となり、生産に携わっていたタイ人の少なからぬ人数を日本に呼び、生産を再開することになりました。言葉や生活習慣の異なるタイ人が日本での生活をつつがなく過ごすことができるよう願っています。この度の日本における災害及びタイの水害は、改めて今日の世界が様々な国の人々と共に生きる社会であることを感じさせるものでした。

 今年は先の戦争が始まって70年になります。この戦争における死者はおびただしい数に上り、戦後、こうした戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう、日本の人々は、真摯(しんし)に過去を学びつつ、戦後の厳しい困難に耐え、営々と国づくりに励み、今日の日本を築き上げました。戦争の記憶が薄れようとしている今日、皆が日本がたどった歴史を繰り返し学び、平和に思いを致すことは極めて重要なことと思います。

 振り返ると、今年は災害に明け暮れた心の重い年でした。しかし、被災地の人々が、厳しい避難生活の中で、我慢強く耐え、多くの人々がボランティアとして被災者を支援したことは本当に心強いことでした。日本人全体がこの震災に向き合い、被災者のために何かの役に立とうとしていることを感じています。本年もあと僅(わず)かになりました。新しい年も被災者に心を寄せつつ過ごしていきたいと思っています。来る年が少しでも良い年となるよう願っています。

2011年12月22日木曜日

小林よしのり氏の皇室の直系こそ正統であるという論についてと、旧宮家の皇族復帰について

女系天皇推進論の小林よしのり氏の直系こそ正統という論に関して、思うことを書きたい。
旧皇族の皇籍復帰については、「民間に生まれ育った一般人を皇族とする」と
批判し、それに対し敬意が持てない、世俗にまみれた旧宮家復活はナンセンスと
批判している一方、
女系天皇が、「民間で生まれ育った一般男子を皇族女子の婿とし皇族とする」
制度であることについては全く述べていない。
そこの矛盾点をまず上げつつ、以下に宮家について述べたい。

まず宮家とはいかなるものか?ですが、まさに血のスペア。
十一宮家のうち、その源流である伏見宮から確認したい。

伏見宮家は、北朝第三代崇光天皇の皇子である栄仁(よしひと)親王がそのはじまりであります。
栄仁親王は、第88代後嵯峨天皇の子である第89代後深草天皇の子孫の持明院統の正嫡であり、観応の擾乱の混乱がなければ、天皇に即位するはずの人だった。

正平一統の際に、北朝の当時の治天の君の光厳上皇と弟である光明上皇、崇光天皇、皇太子の直仁親王ら北朝の皇族のほとんどが南朝軍に連行されてしまった。

足利尊氏は、後伏見上皇妃の命を受け、崇光天皇の同母弟の後光厳天皇(第4代)の即位を実現させた。

そして本来なら持明院統の正嫡のはずであった栄仁親王は、伏見宮となったのである。

その後、天皇の系統となった後光厳系は、南北朝統一後の第百一代称光天皇の時に
後継ぎに恵まれず、栄仁親王の孫である彦仁親王が即位し、後花園天皇となった。

伏見宮直系の後花園天皇が即位したことで、弟の貞常親王が伏見宮を継承。
この時、伏見宮は「永世伏見殿御所」と称することを後花園天皇の勅許で認められた訳です。
理由は、持明院統の正嫡の家系であるということなのであります。

その後後花園天皇を出した皇室の祖であるということで、
伏見宮は宮家の中でも特別の存在として、簡単には世継ぎを絶やすことは出来ない宮家として
扱われてきたのであります。
そして、現皇室の祖である光格天皇は、閑院宮から即位なさいましたが、
その閑院宮は、伏見宮を祖とする宮家であり、持明院統であります。

明治以降も明治天皇、先帝の皇女が嫁がれるなどして、
いざと言う時、伏見宮にということで、絶やさず続けられたきた輝かしい宮家、
それが伏見宮なのであります。

11宮家はすべて持明院統、すなわち伏見宮系であり、
伏見宮家20代当主の邦家親王を共通の祖としております。
従って、もうすまでもなく、現皇室の祖も宮家もすべて伏見宮を祖としているのであります。
そこに系統が戻ることが、何故問題となるのか?
むしろ現皇室の祖を否定するのか?という話になりかねない。

直系を優先し、男系を排除するという論理構成は、今の今まで前例がないのである。
遡ること自体が、600年も前でダメということであるのなら、
それ以上前の神話の話をなぜ正統性をもって受け入れることが出来るのか?
甚だ疑問である。
後花園天皇の、ご所号を加えて「永世伏見殿御所」と称することを勅を持って命じたという
歴史は軽視するのか?と問いたい。

そして、そのうちの、
山階宮家,梨本宮家,閑院宮家,東伏見宮家の四家は血統による相続人を欠いており,
北白川宮家,伏見宮家の両家は男子がなく
男子がある家系は、賀陽宮家,久邇宮家,朝香宮家,東久邇宮家,竹田宮家の
五家となります。

現在、皇族の方々は実に激務。
旧宮家の方々にお勤めをご負担頂けるだけで、ずいぶんと国内の諸活動がやりやすくなり、
儀礼の問題でも、要人をお迎えするにあたり、実にスムーズに行えるようになるはずだ。

旧皇族の方々の皇籍復帰は実はとても簡単なのである。
それら宮家の方々に占領期の政策において行った、
昭和22年10月13日の宮内府による「皇籍離脱」告示を撤回すればいいのであります。

その撤回のみで皇籍復帰が可能となり、現皇室典範の改正すらいらないという
ウルトラCが、この昭和22年皇籍離脱告示撤回なのであります。

2011年12月9日金曜日

女系天皇など日本の歴史にありません。小林よしのり氏は決定的に間違っている。

小林よしのり氏は、『ゴーマニズム宣言スペシャル・天皇論』及び『皇后論』より引き続いて、
また『WiLL』に連載の『本家ゴーマニズム宣言』などで、
女系天皇を容認し、男系論者を批判している。また、旧皇族皇籍復帰に反対している。

彼は決定的に間違っているので、それを書いておきたい。

まず伝統の側面から申せば、女性天皇は結婚した例は一つもない。
(女帝即位前の皇后の頃は除く)
この側面をまず無視している。

さらに天壌無窮の神勅を持ち出して、そこに「男系継承」と限定するとはない、と説く。
また、天照大神が皇祖神であることから、
イザナギ、イギナギから考えると女系となるということを主張する。
そして天照大神は女性神である、ならば日本の天皇は女系だったと考えることもできると
主張している。
「日本書紀」においては神武天皇以前を神代、以後を人代としているので、
皇祖神が女神であることと初代神武天皇から第125代の今上天皇まで
すべて男系による継承がなされたことは同時に成立する概念であるが、
神武天皇以降の男系継承の伝統を主張することは「神話と歴史の分断工作」と批判している。

小林氏の論はめちゃくちゃである。

皇統において皇祖神が男性神か女性神かということは重要ではなく、
皇祖神を初めとして、以降男系で継承したという事実が重要なのだ。
天照大神が天壌無窮の神勅を仰られた訳だから、天孫以降から考えるべきが
当たり前のことで、
その孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)以降すべて男系で継承されているわけだ。
全くもって「神話と歴史の分断工作」とは的外れだ。

また、旧皇族の皇籍復帰については
「血が遠い」「400年も遡らなければ天皇に繋がらない」として否定する。

本当に笑わせてくれる。
明治天皇の皇女である常宮昌子内親王は竹田宮に嫁ぎ、、
同じ明治天皇の皇女、周宮房子内親王は、北白川宮に嫁ぎ、
また、同じ明治天皇の皇女、富美宮允子内親王は朝香宮に嫁ぎ、
そして同じ明治天皇の皇女、泰宮聡子内親王は、東久邇宮に嫁いでいる。
すべて明治天皇の子孫であり女系男子に当たる。

また、東久邇宮家は、昭和天皇の第1皇女の照宮成子内親王が嫁いだ宮家で
東久邇信彦は昭和天皇の初孫として誕生した皇族で、女系の男子に当たる。
男子が2人いる。

女系は肯定しながら、こういった宮家の女系の血筋は考慮しない訳だw
なんでやねん。

皇室が初代神武天皇から125代今上天皇まですべて男系による継承がなされたことについて
小林氏は日本独自の伝統とは捉えず、中国・朝鮮の家族制度を十分に日本化せず
シナを不十分に模倣した「因習」に過ぎないとしている。
だったら、シナから定着しなかった科挙や宦官、同姓不婚をどう捉えるのだ?
それがシナからの因習なら、何を持って男系継承をシナの因習とするのか?

また、旧皇族の皇籍復帰については、「民間に生まれ育った一般人を皇族とする」と
批判し、それに対し敬意が持てない、世俗にまみれた旧宮家復活はナンセンスと
批判している一方、
女系天皇が、「民間で生まれ育った一般男子を皇族女子の婿とし皇族とする」
制度であることについては全く述べていない。
この矛盾に気がつかないとは大笑いと言わざるを得ない。

女性皇太子は孝謙天皇の1例のみで、
後に重祚して即位する称徳天皇の時代を含め、生涯独身であった。

またこんな主張もしている。
女帝の婿は姓がなくなるのだから、
女帝に皇室の男系血統を持たない婿を迎えて次代から女系になっても
易姓革命にはあたらないとしている。
これは前例一つすらないw
まず女帝が結婚した例そのものがない。
そして臣籍降嫁した内親王、王女とその子孫は全て夫の姓となっている。
前例で申せば、姓はすべて父方で継承されている。
内親王の子である女系天皇の代からは
父方の姓を名乗ることになり易姓革命が成立すると考えざるを得ない。

況してや、竹田氏が主張する、ホリえもんが愛子さまと成婚されたら、
その子を天皇として認めるのか?という指摘は本当にもっともである。

ちなみに、宮家は天皇家と同族であり異姓でないため
易姓革命には該当しない。当たり前のことだ。

小林氏は、皇極天皇から天智天皇への皇位継承は女系継承であるとしているが、
天智天皇は舒明天皇の第二皇子であり、父方に天皇の男系血統を引くため
男系継承にあたる。女系を考慮しても双系継承である。
また元明天皇から元正天皇への皇位継承は女系継承であるとしているが、
元正天皇は天武天皇と持統天皇の子である草壁皇子の娘であり、
父方に天皇の男系血統を引くため男系継承にあたる。
女系を考慮しても双系継承である。
これを女系と考える方がおかしい。

それだけではない。
小林氏は皇族志願の男系男子っているのか?いるなら記者会見しろと主張する。
これについて、明治天皇の女系の孫、竹田恒泰氏は
「宮家の当主たちが「皇室典範問題については一切意見を述べない」ことで意見を一致させ、
この問題についてメディアの取材を受けないよう、父を通じて私にも通達があった」と
述べている。
つまり、国家意思が定まる前に、皇族復帰の覚悟があっても、勝手に意見を言わないと決めているということだ。
陛下の大御心も明らかでない現在として、至極当然の見識であり、対応である。

ちなみに、現典範では禁じられてますが、竹田宮の男系先祖に当たる
輪王寺宮が仁考天皇の猶子となっている。
そこから辿れば、竹田宮は、5代遡るという形となり、何百年もさかのぼる必要もない。
何のための猶子かは申すまでもなく、男系継承の維持のためである。

そんなわけで、言いたいことを書いた。ああすっきりした。

2011年12月4日日曜日

我が国の国体とは?


日本の国体とは、天皇陛下を権威の頂点とする、日本の伝統的な国家体制のことである。
日本の国体を守ることとは、すなわち、皇室護持のことである。

天皇は万世一系が定められていますが、
これは天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に対して、
次のように命令したことによります。

《豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国は、
是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。
宜しく爾(いまし)皇孫、ゆきて治せ。行矣(さきくませ)。
 宝祚(あまつひつぎ)のさかえまさんこと、
まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし》(『日本書紀』巻二)

これが「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」といわれるもので、あります。
国家の統治を命じられた天皇が、建国当初から一系の家系(男系継承)を保ちながら
皇紀2671年、確実な所でも1600年程度君臨し続けており、
いかなる苦難にも、その皇位がゆるがなかった事で、
世界史上他に類を見ない神秘性、カリスマ性を持たせている。
英語でエンペラーと訳される位は、もはや天皇陛下のみとなっている。

神によって定められた万世一系の天皇が存在し続ける限り、
天皇の存続そのものが日本の正当性を担保し、八百万の神の証明となる。

そして、幕府や政府などの為政者が倒れても、
絶対的な権威の皇室が頂点に存在しているので、
戦国時代のような内乱はあっても、日本が国家として分裂することはない。

国家的な危機で政府などの為政者が機能不全に陥った際、
日本国民が先天的に長と認める、大権威の天皇の御聖断が
我が国家、国民を救う場合がある
(先帝の終戦の御聖断、2・26事件の終結など)
日本の場合、歴史的に、天皇の裁可がないと正式な政府とならないため、
外国の支配者の出現を防止出来るし、残虐な政府などの発生の余地が極めて少ない。
皇室の権威で成功した明治維新のように、権力のバックアップ機能もある。

天皇の正当性は万世一系による男系継承の血統なので、
「他国の侵略者の成り代わりが不可能」である。
ダライ・ラマのような権威でさえ、この防止措置を持っていない。
男系継承が存続する限り、日本における最高の権威は
常に日本人の民族の長である天皇である。
天皇の存在そのものが、日本という国家を象徴的に具現し、日本国民統合を容易にする。

天皇の存在のおかげで、王朝交代(易姓革命)が起こらず、中国のように、
それに伴う国家国民の無差別殺戮などが起こらずに済んでいる。
中国では、易姓革命のたびに数千万人単位の殺戮が起こるのが普通の出来事だった。

海外でも例のないほどの権威であるため、日本の国家元首として、
日本の首相が足元にも及ばないほどの敬意を払われている。
このことによる外交上の日本の国益は絶大であり、
皇室外交は、外交官千人に匹敵すると俗に言われる。ということです。

そもそも、日本は、大和朝廷につけられた名前。
従って、朝廷がある所が日本であるわけにして、朝廷がないならば
その国は、「倭共和国」とでも名乗り、国民は倭人と名乗るのが適切であるといえよう。

2011年11月26日土曜日

我が国の皇室の評論について思うこと

デヴィ夫人が畏れ多くも、皇太子殿下を廃嫡せよと署名運動しているらしい。
http://ameblo.jp/dewisukarno/day-20111115.html

余りにもバカバカしくて答える気にすらならない話だが、
気持ち的に反論をせざるを得ないので、書いておきたい。

皇位は世襲であります。
世襲たる皇位は皇祖神の神意に基づきます。

 皇位が皇祖神の神意に基づき、世襲によることから、
皇室は中華によくある、徳治主義とは無縁です。

従って天皇陛下に、徳があるないというのは、皇位に関係ないのです。
では、雄略天皇や、武烈天皇のような方はどうなのか?と言う話です。

 よく保守派で、皇室に「どうのこうの」言う論客は、
「皇位は世襲」ということを理解しているのにも関わらず、
そして「中華の徳治主義とは無縁である」と理解しているのに関わらず、
「皇太子ご夫妻」とりわけ皇位を継承するわけでもない
雅子妃殿下に「徳」を求めようとしています。

 さらにその保守派の皇室批判の代表格である西尾幹二氏は、
「意識して努力して近づこうとしない限り、伝統はするりとすり抜けてどこかへ落ちてしまう」として、美智子皇后陛下の「伝統的な徳」を例示し、雅子妃殿下にも
「国母」になっていただくための努力を要求しております。
全くの論理矛盾です。

 そして、皇后位は皇后位であります。皇后が皇位を継承するわけではありません。
皇室の伝統で最重要なの事は祭祀であり、天皇の祈りです。
 天皇陛下は日夜、国民が見ないところで「国平らかに、民安かれ」と祈っておられます。
「国民と共に共感共苦する」どころか、日本国民と命を共有しようとされる。

 「徳」とは天皇陛下の祈りの結果でありますから、西尾氏のような保守派が言う、
雅子妃殿下への徳の要求自体が、論理矛盾していることを、
なんと気が付いていないということになるわけです。

 天皇陛下の祈りによって、国安かれとなるわけなのに、
なぜ故に、雅子妃殿下にそのような「徳」を要求されるのか?

西尾氏は、私から申せば、君臣の別をわきまえない身のほど知らずであると同時に、
論理的にも誤りっていうことですw
雅子妃殿下を傲慢にも論ずる西尾氏そのものが、
実は「傲慢そのもの」なのでありますw
デヴィ夫人に至っては、まったく皇室そのものが分かっていないと言ってもいい。

 雅子妃殿下におかれましても、直接何か我々国民の前で、
この報道はおかしいとか、あるいは釈明されたり、
また私はこう思うというような、御考えや意志を表明されたことはありません。
従って、報道は推測で申していることが大半なわけです。

 昭和天皇が崩御され、今上陛下の御代になられた時も
「重みがない」とかいう識者が一杯いたし
美智子皇后が嫁がれた時も、民間人ごときがという論調が出たものです。
で、あんまりみんながあることないこと書いて、ぶっ叩くもんだから
(Willの花田編集長が代表ですな)
ついには失語症にまでなってしまわれました。ひどい話であります。

 ですので、私は全く心配していないし、日本という国に関しても、その神秘性においても
全く問題ないと考えます。
皇太子殿下は我々に素晴らしい皇室をお見せ頂けると思いますよ。

女性週刊誌上において、
敬宮内親王におかれましても、雅子さまの教育がどうのこうの報道していますが、
我々一般人が、どうのこうの申すことではないのです。
(余りに不敬で読むに堪えないので、詳しく知らない)

 皇室は日本の総本家みたいなものですから、本家のことは本家がお決めくださればよろしい。
そこにおわすだけでいい。
 私はそう思っております。

その為には、まさに現行憲法の欠陥である、憲法第1条から8条までの
しっかりとした再考が必要なのであります。
第9条も問題だが、1~8条、特に第2条の皇室典範についての規定の
「国会の議決した」についての見直しは、速やかに改正されることを望みたい。
そもそも、憲法の条文を素直に読めば、以下にも「国民主権」が皇室を上回るように
読めるようになっていることが実に問題。

立憲君主国とは、君主と国民が共存して成り立つ国家のことを言うのであります。
さらに国体は、憲法をも上回るものだという前提を忘れてはならないのです。

2011年11月24日木曜日

商について 歴史的側面より。


商について。歴史的側面から。

商いってのは、中国の商の国に由来する。
殷の国の別称でもある(殷は蔑称で、自分たちは商と名乗ったと言う)。
で、この「商い」という言葉は、「商」の国から来ている。

つまり土地を取られて生業を何をするかと言ったら、商いしかないんですな。
で、商の連中たちがやっていたことが、商いの言葉の発祥である。

ユダヤ人や、ロマ(ジプシー)や、華僑などが、
何故商売をやるのか?と言えば土地などの資本がないからなのです。

当たり前のことですが、ロマなどは、各地を放浪するから、
Aで、¥100で売られていたものが、
Bでは¥300で売られていることに当然気がつく。
で、そうなればAで買ってきてBで売れば儲かることに気がつくわけです。
金貸しにしても無論言うまでもない。

で、そうなると、自分たちより本来劣るべく人間たちがやっている卑しい生業であるから、
「商」が卑しいものとなる。
士農工商にしても然りであります。商が何故下にくるのか?ということなのです。
(士農工商は諸説はありますが、商を蔑視していたのは江戸時代は間違いない。
吉宗のあれほどの尾張藩宗春へのバブル経済の憎悪、
寛政の改革時の田沼重商主義の否定など)

で、生産者側としては、これは実に面白くないという気持ちはよく分かる。
自分たちは生産している(つまり実業ですな)ことによって人の役に立つことを
しているのにお前たちは何だ!となる。
況してや、昔は商に税金がかかっていない。

まあ、そんなわけで、商や金貸しは、よく言われない風土があるのである。

以上でした。ちゃんちゃん

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2011年11月19日土曜日

アメリカの日本の洗脳政策 WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)

皆様、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
(War Guilt Information Program)というものを
御存知でしょうか?

戦後GHQは、日本悪玉論、アメリカに正義はあったと日本国民に洗脳政策を行った。
 マッカーサーは昭和21年元日、「いまやすべての人が、不当な規制を受けることなく、宗教の自由と表現の権利を享受できる」との声明を出したが、実態は違う。

「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」とは、20年10月2日付の
SCAP(連合国軍総司令官)の一般命令第四号に基づくもので、
GHQ民間情報教育局が主体となって実施した。
同命令の趣旨は「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、
現在および将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、
連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」という命令である。

それより少し前、GHQは20年9月10日、検閲のスタートとなる
「新聞報道取締方針」を発令。同月二十一日には「新聞条例」を発令して
GHQ批判を禁止し封じこんだ。
6日後には、「新聞と言論の自由に関する新措置」によって、
日本の新聞をマッカーサーの管理下に置いた。

 GHQは検閲で日本側の主張を封じ込める一方、
日本人に米国の「歴史認識」を植え付けた。

 まず用語狩りを徹底した。特に「大東亜戦争」は、
検閲で日本軍部を非難する論文で使われても例外なく削除を命じた。
代わって「太平洋戦争」の呼称を定着させた。

 20年12月8日。GHQは、真珠湾攻撃から4周年にあたるこの日から、
全国の新聞に連載記事「太平洋戦争史」を掲載させたのである。
日付一つにしても、実に巧妙に考えられている。

 連載は10回にわたり、満州事変から終戦に至るまでの
日本がひたすら悪い!という論を撒き散らした。
「真実なき軍国日本の崩壊、奪う『侵略』の基地、国民の対米憎悪をあおる」
(8日付朝日新聞)、
「隠蔽されし真実、今こそ明らかに暴露 恥ずべし、南京の大悪虐暴行沙汰」
(読売新聞)といった見出しが躍った。

 この『太平洋戦争史』は左翼思想と結びついて次第に日本に定着し、
堂々と教科書に記述されるまでになった。
 また公職追放で、有識者が公職から追放され、今まで中枢に入ることが出来なかった
左翼思想を持つものがどんどん教育界や、役人に入ってきた。

 またGHQの下、9日からNHKラジオで「真相はかうだ」を放送開始。
「太平洋戦争史」をドラマ仕立てにしたもので、週1回、日曜午後8時から10回放送された。

 少年の素朴な問いに、反軍国主義思想の文筆家が答える形式のドラマだ。
「日本を破滅と敗北に導いた軍国主義者のリーダーの犯罪と責任を日本の聴取者の心に刻ませる」(民間情報教育局ラジオ課)目的で、内容は一方的なものだった。
今よくある、日本人は悪くない、悪いのは軍部だとする論調と同じくするものである。

 すっかり刷り込まれた我が国の国民が、いわゆるA級戦犯を悪者として断罪しても
全く罪の意識がないのはここに起因する。

 「原子爆弾の投下は、戦いをなお続けようとするなら、日本は迅速かつ徹底的な破壊を被るという連合国側の予告を、日本の指導者が無視し、何ら回答しなかったため」
「戦時中の軍指導者たちが戦争犯罪人の指名を受けるのは当然」などなど。

 「真相はかうだ」は問答形式の「真相箱」に改められ、さらに41週間続く。
また「太平洋戦争史」は翌年4月に単行本として出版され、なんとベストセラーとなる。
「情報」に飢えていた日本人は、GHQが計画的に与えた米国製の歴史認識を吸収し、
これが「歴史の真実」として定着していった

それだけではない。出版前に、文部省が
「各学校は各々これを購入の上、教材として適宜利用せらるべきものとす」
という通達を出しているのである。

 GHQが実施したメディアと、公教育を通じた宣伝工作は、
60年後の今も日本人の歴史認識を縛っている。 。

21年にGHQの諮問機関メンバーとして来日し、
日本の労働基本法策定に携わったヘレン・ミアーズは
著書『アメリカの鏡・日本』(GHQにより日本では発禁)の中で、
占領軍による検閲に疑問を呈している。

 抜粋すると、「私たち自身が日本の歴史を著しく歪曲してきた。
だから、政治意識の高い日本人から見れば、日本の教科書の『民主的改革』は、
私たちが意図しているようなものではなく、単に日本人の国家意識とアメリカ人の国家意識を入れ替えるにすぎない」とある。
まあ、本質はこういうことであった。

 GHQは「東京裁判批判」「検閲制度への言及」
「占領軍が憲法を起草したことに対する批判」など
徹底して厳しくメディアを取り締まった。
国民は検閲を受けていることすら知らされなかった。

具体的な検閲内容は、占領軍の検閲指針として以下の30項目があげられています。
(昭和21年11月25日付)
(1)SCAP−−連合国最高司令官(司令部)に対する批判
(2)極東軍事裁判(東京裁判)批判
(3)SCAPが日本国憲法を起草したことに対する批判
(4)検閲制度への言及
(5)合衆国に対する批判
(6)ロシアに対する批判
(7)英国に対する批判
(8)朝鮮人に対する批判
(9)中国に対する批判
(10)他の連合国に対する批判
(11)連合国一般に対する批判
(12)満州における日本人取り扱いについての批判
(13)連合国の戦前の政策に対する批判
(14)第三次世界大戦への言及
(15)ソ連対西側諸国の「冷戦」に関する言及
(16)戦争擁護の宣伝
(17)神国日本の宣伝
(18)軍国主義の宣伝
(19)ナショナリズムの宣伝
(20)大東亜共栄圏の宣伝
(21)その他の宣伝
(22)戦争犯罪人の正当化および擁護
(23)占領軍兵士と日本女性との交渉
(24)闇市の状況
(25)占領軍軍隊に対する批判
(26)飢餓の誇張
(27)暴力と不穏の行動の煽動
(28)虚偽の報道
(29)SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及
(30)解禁されていない報道の公表

で合格すると、下記のような書類が来てOKとなる訳です。





ふむ~ww

 検閲は発禁・発行停止を恐れる側の自主規制へとつながっていく。
原爆投下への批判や占領政策への注文を掲載していた朝日新聞は、
20年9月18日に2日間の発行停止を命じられた。

朝日新聞はGHQに畏れ慄き、日和った。
22日付の社説では、それまでの報道姿勢を一変させ、
「今や我軍閥の非違、天日を蔽ふに足らず。
(中略)軍国主義の絶滅は、同時に民主主義化の途である」と書くようになった。

 そろそろ我々もGHQの洗脳から抜け出す時が来ている。
しっかりと先の大戦を我らで総括し、自分達の足で立つべき時が来ているのだ。